◆日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
神代文字:大神神字
【御利益】
武神。立身出世・開運招福・商売繁盛・交通安全・試験合格・各除災招福・諸願成就。
※古代の英雄であり、スサノオがアマテラスに献上した剣を武器にします。とても体躯が大きく見た目にも美しい神で、歴代八百万の神々の中でも特に容姿端麗だったようです。
【祝詞】
かけまくも あやに かしこき
やまとのたける の おおかみ の おおまえに
かしこみ かしこみ も もうさく
つねもかがふる おおかみ の ひろき あつき
みたまのふゆ を たうとみ かたじけなみまつりて
おろがみまつる こと の さまを みそなはして
いまも ゆくさきも いやましに みたま さちはひ たまひて
いえにも みにも まがことなく
やぬちおだひに いへびとすみやかに くらしゆたけく
いやとほながに たちさかえしめたまへと
かしこみ かしこみ も まをす
おおみいづ あたえたまへ
はらえたまい きよめたまえ まもりたまい さきわえたまえ
【解説】
神宝「草薙神剣」で敵を焼き尽くした神話が有名な、古代日本の国造りを担ったと云われる伝説的英雄です。第12代・景行天皇の第二皇子として出生し、後に武神・軍神と呼ばれるようになります。その体躯は2メートル近くにも及んだとされ、その姿はいつも気迫にあふれており、今でいうかなりの「イケメン」だったようです。古文献にはヤマトタケルが敵を焼き尽くしたと云われる土地「やきづ」とあり、これが現代の静岡県・焼津だと云われています。年の瀬の「酉の市」が行われる「大鳥神社」の御祭神で、第14代・仲哀天皇の父にあたります。(別名:倭建命、小碓命、倭男具那命、日本童男命、など。)
ヤマトタケルは建部大社・大鳥大社、各地の大鳥(鳳・鷲含む)神社、酉の市で有名な東京下町の鷲神社・東京新宿の花園神社や、十和田神社、刈田峰神社、都々子別神社、焼津神社、気比神社、平田神社の他、草薙神剣をご神体としてお祀りする愛知・名古屋の熱田神宮では相殿でお祀りされています。ヤマトタケルが東国に出征する際、叔母の倭姫がいた伊勢神宮を訪ね、倭姫はヤマトタケルに三種の神器のひとつである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と「小袋」を与えました。その後、焼津で敵の火攻めにあった際には天叢雲剣で周囲の草むらをなぎ倒し、小袋に入っていた火打石で火をつけ、敵を焼き払って勝利をおさめました。天叢雲剣が草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)と呼ばれるようになったのは、この時からだとされています。
草薙神剣とは元々、八岐大蛇を倒したスサノヲが手に入れてアマテラスに献上したことで三種の神器になった「九つの竜神の御魂が宿った竜神剣」なのですが、それが後年になってヤマトタケルの手に渡ります。神々の中でも最強と云われたスサノオの手から、後年にはその時代で最強と云われたヤマトタケルにその剣が渡ったことに、どこか宿命的な因果を感じます。なおヤマトタケルが亡くなった際、遺体を納めた陵墓から大きな白鳥の姿があらわれ天に昇ったと伝えられており、それが今の大鳥神社(鷲神社)の由来に連なっています。皇子でありながらあまりの強さと人気を父に恐れられ疎まれ続けて、都に留まれる事は殆どなく、日本各地での戦に明け暮れる転戦の日々となった古代日本の英雄は、不遇の死を遂げながらも民衆の支持を集め、何世紀にもわたり絶大な人気を誇りました。なおヤマトタケルは「日本武尊」と書かれる場合と「倭建命」と書かれる場合とがありますが、これは前者が日本書紀、後者は古事記でヤマトタケルを漢字表記したものであり、どちらも同じ神を表しています。
左上:歌川国芳 作「ヤマトタケル」
右上:日本武尊御陵
右下:日本武尊像。手に持つ剣は「三種の神器」の一つ「草薙剣」=天叢雲剣
左下:日本歴史図絵‐第8「日本歴史」第一集 昭和4年11月刊より
※この神には金沢(石川県)「兼六園」のヤマトタケル像のように、鳥がフンをつけない「銅像」があります。