- Sarutahiko -

◆猿田彦命(サルタヒコノミコト)

神代文字:天日草文字×正神字×天津神字×左津真神字

 

御利益 

陽神。交通安全・延命長寿・厄除け・縁結び・商売繁盛・殖産興業・事業繁栄・所願成就

※旅神・導神です。人々が新たな道を選択する時、幸福な人生を得るためにはとても有効な神です。

祝詞

かけまくもかしこき さるたこのおおかみ の おおまえを 

おろがみまつりて かしこみ かしこみ も もうさく  

おおかみの ひろき あつき めぐみを かたじけなみまつり 

たかき とうとき みおしえのまにまに 

なおき ただしき まごころもちて 

まことのみちに たがうことなく

おいもつわざに はげましたまい 

いえかどたかく みすこやかに 

よのため ひとのため に つくさしたまえ と

かしこみ かしこみ も もうす

 

 

解説】  

アマテラスの孫神「ニニギ」とその一行が天孫降臨する際に、その道案内をした国津神として日本神話に登場します。「天狗」のモチーフとなった神でもあります。元々は、紀伊半島を領域として伊勢の五十鈴川に坐していた神でしたが「ニニギの道案内をした」という伝承から「道の神」「旅の神」とされるようになり、後に日本各地で道祖神としてもお祀りされるようになりました。そのため、全国各地で道祖神として「猿田彦神」がお祀りされているシーンを多く見ることができます。(別名:猿田毘古神、猿田彦大神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、など。)

 

サルタヒコをお祀りしている場はお社(=神社のこと)よりも道祖神=庚申塚(又は、庚申堂)が圧倒的に多いのですが、明治時代以降に公の神社として猿田彦神社が建立されました。現在は椿大神社・都波岐神社・奈加等神社・阿射加神社・二見興玉神社・白鬚神社・佐太神社・籠祖神社・男石神社・荒立神社・塩屋神社・長澤神社・菅布禰神社、などでもお祀りされています。

 

記紀を訳すと「ニニギが天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつも分かれている所)に立って、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこでアメノウズメがその神の元へ行って誰であるか尋ねると、その神は国津神のサルタヒコと名乗り、ニニギらの先導をしようと迎えに来た。」と書かれています。「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、その体躯はかなり大柄だったようで、後世には天狗のモチーフとされるようにもなりました。「天地を照らす神」とも書かれていますので、アマテラス登場の以前に古代の伊勢国辺りで信仰されていた、別の太陽神だったとする仮説もあります。サルタヒコはニニギの一行を無事に地上へ案内し終えると、故郷の伊勢へと帰り開墾に勤しみましたが、後にヤマトヒメノミコトがアマテラスをお祀りする地を探していた時には自らの坐す土地を献上しました。この土地が、現在の伊勢神宮一帯だと云われています。

 

 

ところで、サルタヒコにはちょっとしたおもしろい仮説が幾つかあります。例えば、過去に禁断の日本史とも呼ばれ(中世には、権力者の意向で一方的に偽書とされたことがあります)日本の超古代史を記したとする古史古伝「竹内文書」や、門外不出と自称する「正統竹内文書」などの文中では「サルタヒコ=イエス・キリスト」である、というのです。また、日ユ同祖論を論じる数多くの文献では、日本人は古代イスラエルが滅亡した際に忽然と消えたユダヤ十支族のうち一又は二支族の血族で(特に、ガド族説が多い)日本神道とは古代ユダヤ教の風習と日本古来の自然信仰の融合である、というようなことが書かれているのです。歴史学・考古学の視点で見た場合の時系列では、古代イスラエルの聖典「旧約聖書」の中で「主神ヤハウェ」がイスラエル王ダビデに、子孫の永遠の繁栄と王位を約束している頁があるのですが、同時期にユダ王国が滅亡しています。ところが、同じ時期に神武天皇による日本建国があり、その頂点「天皇」は万世一系を保ち現在もその皇位を保っています。「もし」日本人が失われたユダヤ十支族の末裔であれば、主神ヤハウェは約束を守ったことになるわけです。

 

 

また地政学の観点からは、主神ヤハウェが古代ユダヤ民族に対して「神の教えを守るならば、カナンの地を永遠に与える」と約束した、その地は「もしかしたら」四方を海に囲まれ外敵から侵略を受けにくく、美しい自然と四季に恵まれ、水が豊かで食べ物が美味しく、危険な動植物が少ない日本列島のことではないか、という仮説があります。この説は複数の説を検証した推論なので、要約すると一種の「消去法」から発生したものなのですが、少なくとも国土が狭く周辺国との関係性も複雑な現在の中東イスラエルが主神ヤハウェのくれた「約束の地」であるとするのは「神の恵みというわりには大したことないな・・」という解釈なのでしょう。なお、当流での見解は秀麻呂を始めとする研究チームにより『単に「日ユ同祖論」よりは「日ユ“文化”は一部で同祖の説」とでもいった方が実体として正確だが、古代ユダヤ民族のうち、ある程度のまとまった人数が古代の日本に上陸、のちに定住して日本人と同化した可能性はかなり高い。数多ある状況証拠からも、古代の世界情勢からも、古史古伝の解読からも、90%以上の確率で事実』だろうとのことでした。 

左上:古殿地の石柱はエネルギーが大きい

右上:サルタヒコの神楽面

右下:三重県・伊勢市の猿田彦神社

左下:猿田彦大神