- 「厳しさと優しさ」のバランス -

2024/08/01

 

中世の日本には「心頭滅却すれば火もまた涼し」と述べた臨済宗の僧侶がいたが、ぜひ21世紀の現在に来ていただきたい今日この頃である。

 

すまない、冒頭から余計なことに触れてしまった。

 

ところで、わたしは複数の企業・法人で役員や理事などもやっているのだが、ここ数年会議に上がってくる回数が顕著に増加しているテーマがある。

 

それは「○○ハラスメント」への対処である。

 

わたしの視点だと、いい大人がこんなことをゴチャゴチャと議論するくらいなら科学的に分析した方が断然よく、問題の本質的な原因は「インターネット・スマートフォンの普及率が上がると共にコミュニケーション力が低下した」と、これだけのことなのだ。

 

だが、先日の会議で「厳しさと優しさのバランスがわからない者には教育すべきである」といって即プログラム化したところ、我ながらこれがなかなか好評だったので、今回はこの「厳しさと優しさのバランス」についてコラムを書くことにした。

 

特に、昨今のバカバカしい社会情勢に「二の足」を踏んでいる経営者・事業主・責任者・管理職の方々には参考になるなら幸いである。

 

 

たぶんみなさん「厳しさと優しさのバランス」でどちらが重要かと質問されたら、答えられる人は少ないのではないだろうか?

 

思い当たるフシがある人は、おそらく周りにも答えられる人がいないはずである。もし周りに答えられる人がいたならば、おそらくはあなたも答えられるはずだ。

 

困った時には「歴史に学べ」である。

 

例えば、イタリア・フィレンツェの外交官・政治家だったマキアヴェリ。彼は古代ローマを含めた膨大な歴史を分析し、成功する君主、失敗する君主を描いた永遠の名著『君主論』の著者である。

 

「君主は、たとえ愛されていなくてもいいが、人から恨みを受けることがなく、しかも怖れられる存在でなければならない」は『君主論』の中にある有名な言葉だ。

 

カルタゴを率いて巨大なローマと戦った名将ハンニバル。無数の人種が混ざり合う軍だったが、一度も軍団や兵士のあいだに内輪もめがなかったという。そのことについて、マキアヴェリは次のように書いている。

 

「このことは、ひとえにハンニバルの非人道的な冷酷さのおかげだった。幾多の徳性をもつとともに、彼のこの気質が、配下の兵士の目からは、つねに、敬服してやまない、恐るべき存在と映ったのである」(※『君主論』第17章)

 

長い歴史を分析したマキアヴェリの結論は“リーダーはまず冷酷さを発揮せよ”だとわかる。しかし、彼の提言を使いこなすには「冷酷さ」の定義を正しく知る必要があるのだ。

 

リーダーに必要な「冷酷さ」の正体とは?

 

冷酷さの意味を知るには、その逆の「優しさ」について知ることが肝要だ。一般的に優しさとは、相手に対して思いやりがある、相手の立場を考慮してあげるなどの意味を持つ。重そうな荷物を抱えていれば手伝ってあげるなどは、ステレオタイプが好きそうな典型的な優しさである。

 

ならば、冷酷さを発揮するとは「相手に思いやりを持たず、相手の立場を考慮しないこと」になる。なぜこのような冷酷さがリーダーに必要なのであろうか?マキアヴェリは『君主論』の中で、2つの要素を挙げて冷酷さの必要性を説いている。

 

1.正しく動かすため

2.失敗や惨事を未然に防ぐため

 

 

ひとつめの「(部下を)正しく動かすため」は、わかりやすい。忙しいときや大変なとき、上司が部下の個人的な都合や気持ちばかり考慮していれば、優しさを発揮していても、必ずトラブルになる。事業なら業績が落ちることになる。

 

「あまりに憐み深くて、混乱を招き、やがては殺戮や略奪をほしいままにする君主に比べれば、冷酷な君主のほうは、ごくたまの見せしめの残酷さを示すだけで、ずっと憐みぶかい人物になる」

 

「後者の場合、君主が処刑を言い渡すのは、ただ一部の個人だけ傷つければ済むわけで、前者であれば、全領民を傷つけてしまう」(※『君主論』第17章より)

 

殺戮や略奪となれば現代のビジネス社会では大げさだが、例えば会社で社員に必要な行動をきっちりさせず、部下の個人的事情をいちいち考慮していては、部下は力を発揮しなくてもよくなる。自分の都合を上司に告げさえすれば、それで無罪放免になってしまうからである。

 

過剰な優しさや相手への配慮は、甘えと惰性を生む。気がつけば業績悪化や顧客からのクレームなどのしわ寄せが起こる。すると、リーダー側が追い詰められてしまい、トランプ氏なら「You are fired!!」と叫ぶであろう甘えた部下に当たり散らすか、職場全体の人員整理(リストラ)など「より過酷な出来事」が起こる可能性すら生まれてくる。

 

マキアヴェリは「冷酷な君主は、ごくたまの見せしめの残酷さを示す」と書き遺している。これは、必要な場面でその対象者を厳しく譴責することで、その影響力を全体に波及させ、すべての社員の気持ちを引き締め、仕事に必要な緊張感を浸透させる効果がある。

 

2番目の「失敗や惨事を未然に防ぐための冷酷さ」とは、どんなことか。これはリーダー特有の冷酷さで、先を見越したうえで「あとあと問題になるような甘えや妥協は許さない」ということを指している。

 

「危害というものは、遠くから予知していれば、対策を立てやすいが、ただ手をこまねいて、あなたの眼前に近づくのを待っていては、病膏肓(やまいこうこう)に入って、治療が間に合わなくなる」

 

「ローマ人は遥か前から難儀を見ぬくことができたために、つねに対策が講じられた(中略)。もとより時を待てば、何もかもがやってくる。良いことも悪いことも、いずれかまわず運んできてしまう」(※『君主論』第3章より)

 

リーダーは部下と違い、その先のことまで視野に入れなければなりない。今日、近くにいる社員の小さな手抜き、妥協、間違いを見逃せば、数日後、あるいは仕事の完成時に大きな損失やトラブルにつながる。

 

例えば、リーダーは先を見据えて冷酷にこんな判断をしておくべきである。

 

○契約内容の詳細、そのまた詳細まで詰めておく

○トラブルの芽を見つけたら、目をそむけず最優先で処理させる

○部下の働きぶりを見て、手抜き仕事は厳しく譴責する

○仕事の基本動作ができていない部下には、正しい動きを指示する

○明日のために、今日やるべきことは完遂させ、残させない

 

ここでの「冷酷さ」とは、仕事の先延ばしや嫌な問題対処を避けたがる気持ちなど、甘えを許さないことだ。仕事は、階層が上に行くほど遠くを見通す必要があり、下に行くほど目の前のことに追われる。とくに新入社員の場合は、今日1日を無事に過ごしただけでホッとしている者も多いはずである。だが、それを指導する上司や先輩は、その新人の半年後の成長、1年後、それ以降の姿まで思い描いて教育計画を進める必要がある。

 

優れたリーダーは指導する部下より常に先を見据えている。だからこそ、部下の視点で妥協してもよいこと、いま決めなくてもよいこと、今日この場で仕上げなくてもよいと思われることも、リーダーの視点からは「許すことが絶対できない」ものに見えるのである。

 

カルタゴの名将ハンニバルは、非人道的なほど冷酷だったとマキアヴェリは述べているが、彼の軍団指揮は常に先を見据えており、その冷酷さはのちのちの軍団の勝利につながった。だからこそ、部下たちは彼の冷酷さに心酔し、ハンニバルを支持したのだ。

 

だが、冷酷さを正しく発揮して、部下や新人を叱るときに注意すべきポイントはある。マキアヴェリは、冷酷さを発揮する際には、相手の反発を買わないことだけは気を付けるべきだと繰り返している。

 

「君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることがなく、しかも怖れられる存在でなければならない。なお、恨みを買わないことと、恐れられることとは、立派に両立しうる」

 

「とくに他人の持ち物に手を出してはいけない。それに、物を奪うための口実ならいくらでも見つかる。ひとたび略奪で暮らす味をしめた者は、他人の物を奪う口実をいくらでも見つけてしまう」(※『君主論』第17章より)

 

マキアヴェリは、他人の持ち物(財貨・家族)を奪うことは、必ず恨みにつながるので、それだけは君主も厳に慎むべきだと述べていたが、現代ではこのような物質的なものを相手から奪う上司は、法的に存在できまい。

 

しかし、部下から精神的なものを奪って平気でいる、愚かな上司(君主)は現代にいくらでも存在している。部下の精神的なものとは「自尊心」「やる気」「健全な勤労意欲」である。

 

間違った行為を叱るのではなく、仕事のミスで個人攻撃をしている上司。部下に正しい分量とレベルの仕事を与えず、過剰な疲弊や怠惰を許してしまい、やる気を失わせる上司。扱いが不公平で、評価基準もあやふや、それがために部下の健全な勤労意欲を奪う上司。このように、部下から反発を買って平気な上司がビジネスの世界にも溢れている。

 

優れた上司(君主)は、仕事への厳しさで恐れられても、部下の熱意や自尊心、健全な勤労意欲を奪わず、それらを正しく育てている。冷酷さは、マキアヴェリのように使い方を心得ておくことでこそ、大きな効果を発揮する。

 

マキアヴェリは『君主論』で、君主はケチであることを薦めている。理由は、普段から散財をしていれば、いざという時に余裕がなく、普段ケチであれば、稀な恩恵に市民は大きく感動するからである。

 

冷酷さも同じで、仕事のための9割の冷酷さを貫く君主(上司)は、珍しく見せる優しさが部下の大きな印象に残る。きちんと叱る、先を見据えて動き甘えを許さないという2つの冷酷さを使いこなす上司の部署は、トラブルが少なく、問題を事前に解決し、みんなが緊張感を持って働く良い職場ともなるわけだ。

 

結果として、非人道的とまで言われたハンニバルのように、部下が彼に信頼を寄せ、成果を挙げることができる職場とリーダーに感謝することになるのである。

 

 

そして、1割の優しさとして「褒めること」である。君主の教育法として、目標を大きくしていくことである。褒めるとは、文字通り部下を褒めることなのだが、注意点は必ず「正しい成果を挙げた者」を褒めることである。

 

なぜなら、上司が褒める人物像が他の部下の目標になり、褒められた人物に似た行動をする人が増えていくからである。不正行為で成果を出したものを評価すれば、そのような行為に手を染める部下が、社内に増えていく土壌を作ることになる。

 

新人教育という点で、最初は必ず上司に「権威」がある。なぜなら、新人と上司では、知識量と経験値が大きく異なる。そのため、新人は教育を受けている期間は、常に上司とのギャップを感じて「健全な不安」を抱えているはずである。

 

仕事ができるようになるには、上司や先輩社員のような「知識と経験が必要だ」と感じることが、新人の心の中で謙虚さや、上司への権威を生み出している。

 

しかしその不安(とあなたへの権威)は、時間が経つごとに減少していくのだ。新人も仕事の知識を増やし、経験を積んでいくからである。このような時、新人からギャップによる権威が消えた上司は、どんなことをすべきか。

 

一番カンタンなのは、新人の目標をレベルアップさせていくことだ。

 

部下への教育の成果が出てくる時期、経験を積んで実力が育ってきた時期には、健全な形で目標レベルを上げることが望ましい(ただしやる気を失うほど乖離してはいけない)。部下が育ってきたことを認めながらも、実力と目標はつねに健全なギャップを保っておく。ある種の不安を与えるわけだ。これは部下の成長を促すと同時に、上司が健全な形で支配力を維持する(ある意味で冷徹な)マキアヴェリ流の方法なのである。

 

総論として、部下を、社員を、新人を、スタッフを。せっかく縁あって採用したのだから「You are fired!!」とはしたくない。せっかく来てくれたのだから一人前になってもらいたい。

 

大げさに言えば「人類愛」にも見えるこんな大人の心情が、今の日本社会ではある種の目的を伴って壊されようとしているのだから、守るべきを守らなくては誰もが不幸になるだけである。

 

以上、昨今の社会情勢に悩める経営者・事業主・責任者・管理職の方々に一抹の参考となれば幸いである。

 

 

秀麻呂