- 九州に隠された超古代の秘密 -

 

2024/09/01

 

 

みなさんは神籠石(こうごいし)というのは知っているだろうか。

 

この石は、九州在住の人なら知っているかもしれないが、近畿から東の人は知らない人の方が多そうな古代の遺物なのだが、古事記や日本書紀にはまったく記述がなく、続日本書紀にも記されていない。

 

そんな「不思議な石積の遺構」が九州の北部一帯に遺されている。小高い山の頂きから中腹にかけて数㎞にわたって切石の列が並び、これらは「7世紀前後のもの」と推測されているが、じつは証拠も定説もない。

 

古代の山城の城廓ではないか、いや霊域の結界に違いない、などなど諸説あるこれらの石は史蹟の大小のかかわりなく、久留米市にある高良山の神籠石が最も著名である。なにしろ「高良山の山腹」には、なんと20㎞以上も並ぶからだ。

筑後平野の見晴しがよい場所なのだが、これだけの石を加工し、運び、組み立てる人力を計算すると、当時の国家権力によるものか、それに等しい力を持った「源・平・藤・橘」クラスの大豪族でなければ、とても出来ない古代の大仕事である。  

 

しかし・・・だれが、なぜ、なにを目的に???目の前にすると、なかなかの驚嘆である。  

 

証拠どころか伝承すらないので、他の神籠石も謎が満載である。だいたいの場合、邪馬台国の証拠というのは、土の下に埋もれているので探しにくいのだが、この石は明確に地上にある。石の並びや、形状はそれぞれ。そして神心の修道者どころか古代史の素人でも、トレッキングや山歩きの感覚で探訪するころが簡単にできる。  

 

この「神籠石」が発見された地域というのは、いわゆる「装飾古墳」が多く、また邪馬台国の一部と推定される地や吉野ヶ里、古代日本の防衛拠点「鞠智城」さらには謎のトンネル、トンカラリン(玉名地方)などがある。

 

わが国では1970年代に「邪馬台国」についての論争が起こり、九州説と畿内説が論じられた。コトの発端は松本清張の「古代史疑」(九州説)がベストセラーになったのがきっかけだったようで、次いでミステリー作家の巨匠といわれた「高木彬光」まで「邪馬台国の秘密」を出版した。これらを読んだ一般の人々の間で議論されるようになっていったのがその実体である。

 

 1980年代の中頃になると、佐賀県吉野ヶ里の大規模発掘によって遺跡の全貌が明らかになり、一躍、九州説が主流となったようだ。いま吉野ヶ里は人気の観光地になっている。一方の畿内説では、かねてから「卑弥呼の墓」ではないかと言われていた箸墓古墳近くの纒向遺跡(奈良県)の発掘で、大宮殿跡が見つかり、畿内説が有力になってきた。

 

“神武東征”が九州から出発し東に遠征した後、畿内に帰ろうとしていることから時代考証を行うと、九州に出来たであろう古代勢力が頭ひとつ抜けた力を持つようになり、それが次第に中国>四国>東海以東>畿内へと領土を拡張していったと考えるのが自然であろう。

 

 ここでもう一方の雄「古代出雲王国」については、古事記などに記載こそされているものの、当時は単なる神話だと考えられていた。だが、1985年に荒神谷の発掘によって「出雲に一大勢力があった」ことが歴史的事実であると見なされるようになった。

 

なにしろ、358本もの銅剣が埋納されているのが見つかったのである。

 

 埼玉県の稲荷山古墳からも「鉄剣」が見つかり、1983年には「国宝指定」を受けた。鉄剣には「大王の親衛隊である」という意味の文字が刻印されていたのである。つまり、関東の人物がヤマト朝廷の兵として仕えていたという確たる証拠が見つかったわけだ。実は、群馬県と埼玉県には近畿地方を上回る数の古墳がある。

 

 そして多くの発掘と炭素年代法の進歩で、科学的に分析された新事実が次々と明らかになっている。

 

例えば、三内丸山遺跡、吉野ヶ里、荒神谷、鬼ノ城など十ヵ所以上の重要遺跡が我が国には実在するわけだが、昭和の中頃には「江上波夫」をはじめとする似非考古学者たちによって「大陸から渡ってきた人々によって縄文人が征服され弥生時代になった」などという異民族日本征服説が唱えられた。だが、今ではそれも科学的検証から「でまかせ=トンデモ説」とハッキリ確定した。

 

じつは明治時代にはもっとおもしろい「トンデモ説」があったそうだ。

 

坪井正五郎という人物が埼玉県の「吉見の百穴」をコロボックル(アイヌ伝説の小人)の住居跡であると論じた。だが後年、それが横穴式墳墓であると判明した。(この坪井氏は後に考古学博士となっている。)

 

このようにトンデモ説ではあるが、仮説が唱えられたことによってそれが検証され、一歩前進したというユニークな例も日本には多くある。

 

現代の日本にとって、ハッキリいってしまえば「邪馬台国」がどこにあろうと、どこが起源であろうと、まったく影響はない。だが、古代日本の姿を正確に把握することは、我が国の天神地祇たち、ようするに我々日本人を守護する神々に気にかけてもらえる一番の近道といえよう。

 

前述の遺跡群に足を伸ばしている人もおられるかと思うが、じつはわたしは「ライフワークの完成」を目的に、この7月福岡市内に居を構えた。目的のひとつは「九州に隠された超古代の秘密」の再研究と、実体の解明である。

 

 

ひと段落したら、みなさんにもその成果は公開しようと思うので、いましばらくお待ちいただきたい

 

 

秀麻呂